スポーツとパワハラ 師弟関係と教育が原因なのか

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現在、相撲やレスリングなど、スポーツのさまざまな場面でのパワハラが問題になっています。

その一方で、冬季オリンピック・パラリンピックでは羽生選手をはじめとして、数多くのメダルが日本にもたらされ、スポーツ界の光と影を見る思いがしました。

本来、スポーツは人々に感動と興奮を与え、そして選手の人間的成長に役に立つものです。どうしてそのようなスポーツに影の部分としてのパワハラが生まれてしまうのでしょう。今回はそのことに迫ってみようと思います。

1、スポーツとパワハラ

まず、一つしっかりと認識しておかなければならないのは、いま問題となっているものが格闘技だということです。とはいえ、格闘技以外のスポーツにパワハラがないかといえば、そんなことは全くなく、例えば野球界において現解説者のデーブ大久保氏と西武のエース菊池投手の間のパワハラが問題になったこともありました。

ただ、その頻度を考えても、やはりそこには格闘技と他のスポーツを分けて考えてみるべきでしょう。そこには、全く別物といっていいほどの、大きな原因の違いがあるだろうと考えられるからです。

2、格闘界のパワハラ

格闘技、特に柔道、剣道といった「道」と呼ばれる格闘技には、かつて明確な師弟関係がありました。というのも、例えばサッカーや野球において指導者に当たるのは「監督」や「コーチ」ですが、「道」と呼ばれるような格闘技では、いまだに師匠という言葉を使います。もしくは○○先生という言い方もよく耳にすると思います。

つまりそこには、歴史の中で延々と受け継がれてきた師弟関係という物が存在するということです。そしてこの師弟関係こそが、格闘技をパワハラの温床としているものなのです。なぜなら、師弟関係とは、完全なる従属関係になるからです。

師匠とは、ただその道の技を教えるものではなく、それは芸事の世界でも同じく、生活全般に面倒を見る、いわば親のような存在です。そこには、競技を離れたところにまで及ぶ絶対服従の精神があり、弟子は師匠にただ付き従うのみ許されます。そして、師匠の下には1番弟子・2番弟子と、師匠から連なる明確な封建的身分制度まで存在していたのですから、ある意味それはパワハラをするための構造になってしまっている状態なのです。

2−1、徒弟制度の名残

それは戦前の話ではないかと思う人もいるかもしれませんが、そうとも言い切れません。

もちろん、生かすも殺すも師匠次第といった、師匠が弟子の命を握るという権利を持つ。そんな徒弟制度は今や存在しないと言っていいでしょう。

しかし、その名残は今もしっかりと残っています。たとえば、格闘技の道場などで、

  • 師匠である指導者の意見に口をはさまない
  • 指導者の教えに従うようにしつける

ということに疑問を挟む人もいません。

さらに、それぞれの格闘技の道場には、その始祖や開祖に当たる師匠や道場を開いた人間の肖像画が、まるで神様の様に奉られている風景もさほど珍しいものではありません。それを見れば、いわゆる封建的徒弟制度は、廃れるどころかしっかりと今に残されていると考えるのが普通です。

そして、それは、残念なことに、もともとそんな徒弟制度が入る余地もなかったほかの格闘技にまで、広がっているのが現状なのです。

2−2、格闘技全般に広がる徒弟制度

たとえば、プロレスや総合格闘、そして今回問題になっているアマレスという世界。こういった世界は、本来海外から入ってきた文化であり、そこには日本式徒弟制度などという物がもともと存在していなかったと考えられます。

ところが、日本ではこういった格闘技の世界にまで、徒弟制度のような師弟関係が存在します。

それはなぜなのか、答えは意外と簡単で、日本においてそういった格闘技に身を置いている選手たちが、「柔道」「相撲道」「空手道」などといった「道」のつく格闘技の出身者だからです。

そして、そういう格闘界で一流の選手であるほどに、幼いころから徒弟制度の仕組みを叩き込まれているのです。つまり、ある意味格闘界というのはその存在自体がパワハラの温床となっているといってもいいのかもしれません。

2−3、問題になりにくい格闘界のパワハラ

そんな中、実は格闘界のパワハラというのは問題になりにくい側面を持っています。

たとえば、かわいがり問題から力士による暴行事件など、さまざまな問題が出ている相撲界は、それが警察沙汰に発展しているからこそ、世間に認識されてきています。

同じように、今回アマレスの栄監督と伊調選手のパワハラ問題も内閣府への上申書で明らかになりました。

それは、立件されるような刑事事件になるか、もしくは関係者や第三者による内部告発でしか明らかにされていないのです。

では一体、なぜそんなことになるのか。やはり一番の原因は、幼いころから封建的徒弟制度の中に生きてきた選手やコーチ、それこそ協会や関係者一同に至るまで、そこにあるパワハラをパワハラだと気づいていないことだといえるでしょう。

つまり、格闘界の外にいる人間にはパワハラにしか見えないことも、格闘界の内側にいる人にそうは見えていない、ということなのです。これでは、格闘界におけるパワハラが問題にならないのも当然のことといえるでしょう。

2−4、格闘界のパワハラをなくしていくために

やはり格闘界においては、このパワハラをなくす一番の手立ては、外部監査しかないでしょう。ただ、マスコミがよく言うように、格闘界とは全く関係ない世界の第三者による外部監査というのは、良い手ではないと考えています。

というのも、この封建的徒弟制度が、格闘界においての選手の能力の底上げに役立っている面もあるからです。それは、今回パワハラで問題となっている人が、世界的名選手を幾人も輩出していることからも、疑いの余地はないといってもいいでしょう。

ですから、本当に必要な第三者とは、その格闘技も、そして外の世界もしっかりと両方知っている人材です。その世界の常識と外の世界の常識の両方を持ち合わせた人が、

  • 師弟制度などの良さを生かしながら上手にバランスをとるバランサーとなること。
  • 権限と権威をきちんとつけ、お飾りではない働きをすること。

格闘界のパワハラをなくすには、きっとそういったことが必要になるはずです。

3、格闘技以外のスポーツのパワハラ

格闘技以外のパワハラで欠かせない要素は、やはり日本の奇妙なチームワークの概念です。

かつて、ニューヨークヤンキースの松井選手が大きな骨折で戦線を離れなければならにと決まったとき、記者会見で「チーム関係者やチームメイト、ファンに申し訳がない」と謝罪しました。

日本人ならば、何事もなく聞き流すこのフレーズ、しかしアメリカ人にはかなり奇妙に映ったようです。

というのも、骨折してひどい目にあっているのは松井選手本人なのになぜ松井選手が謝罪するのかが、彼等にはさっぱりわからなかったというのです。

これが、日本の奇妙なチームワークです。また、先ごろ行われた平昌オリンピックの際、ショートトラックの日本代表選手がドーピングで追放されるという事件がありました。

真偽のほどはわかりませんが、この時も彼は日本代表チームに謝罪のコメントを残しています。

しかし、ショートトラックは野球などと違って個人競技です。チームといっても練習を共に行うだけの存在ですし、もっと言えば皆ライバルのはずです。いったいこの日本独特の奇妙なチームワークの概念はどこから生まれてきたのでしょうか。

3−1、部活と連帯責任

その根源は、個人的には部活にあるのでは無いかと考えられます。たとえば、甲子園出場が決まっているA高の野球部。その部員がタバコを吸っていたことが発覚するとします。すると、その高校の甲子園出場が取り消された、というような話を聞いたことがありますよね。

たとえA高のベンチ入りの選手が関わってなかったとしても、関係なく、連帯責任という名目で行われる。じつはこの連帯責任という考え方が、日本の奇妙なチームワークの概念を生み、そしてそれがパワハラにつながっているといって過言ではないでしょう。

というのも、そもそもチームワークとは、チームの関係性の平等をもたらすものです。しかし、そこに連帯責任という考え方が入ると、この関係性は一気に「相互監視」という物が入って関係が硬直化します。

なぜなら、一人がミスをしてしまったり、不祥事を犯したりすると、皆がその責任をかぶるわけですから、そこには相互に監視しながらの統率という物が不可欠になるからです。

しかしそれは不自然なことではなく、連帯責任というのは、封建時代の統治政策が産み出したもの。ですので、それが色濃く残る日本では、相互監視による統率が必要になるのは、もはや当たり前のことなのです。

3−2、相互監視には身分が必要になる

この連帯責任という物は、先ほども書いたように封建時代の統治政策そのものです。というのも江戸時代の五人組制度や、ナチスドイツや共産党時代のソ連などで採用された密告制度もまさに連帯責任の概念の産物なのです。

そして、そんな歴史の例を出すまでもなく、この連帯責任による統率には、絶対的な身分の上下が必要になります。

なぜなら、この相互監視による統率というものは、身分差を利用して段階的に下の人間を監視し、統率する人間が必要になってくるからです。

部活でいうなら、1年生を2年生の先輩が監視しする。それを3年生の先輩が監視。それをコーチが、さらにそれを監督が、顧問が・・・と連なっていく上下関係です。

もうお分かりですね、絶対的な立場からの監視と、段階的に連なる身分制。まさにこれこそが、パワハラの温床となるものです。

3−3、格闘技以外のスポーツのパワハラをなくすには

もうこれは連帯責任という物を、なくしてしまうしかありません。部員の一人が暴行事件を起こしたからといって、他の部員までもが責任を取って罪を償うというのは明らかに奇妙な考え方です。

これに難しい理屈は必要ないだろうと思います。封建社会や独裁政権と同じようなことを続けていく、正当な理由なんかないのです。

4、スポーツは誰のものなのか

スポーツ界のパワハラを考えたとき、スポーツとはいったい誰のものなのかに思いをはせる必要があるでしょう。本来、スポーツとは、第一番目には、そのスポーツをやっている選手個人のためにあるものです。

しかし、それが、親方や師匠のためやコーチ監督のため、母校のため、ひいては国民や国家のためという、絶対的上位者や団体の為という価値観に侵食されているのが現状です。だからこそ、そこに徒弟制度や連帯責任がいつまでも残ってしまうのです。

金メダリストが知事や総理にあいさつに行った時「よく頑張ってくれました」と当たり前のように言っている現状こそがまさしくそれにあたります。これはおかしなものだと思わなければいけないのです。なぜならば、彼らは、知事や総理、都道府県や国家のために頑張っているのではないのですから、当然のことです。

それは親方や師匠であっても、コーチ監督であっても母校であっても同じことで、選手はそういった人たちのために頑張るのではなく、自分のためにより良いそういうものを選んでいるにすぎないのです。

5、まとめ

自分のためにスポーツを行う。この考え方で間違いはないでしょう。しかし、自分の競技力向上のために他の人の意見をもらう。以前活躍された諸先輩がたに意見をもらうのは一つの選択肢として当然必要です。

パワハラをしたいと思ってお互い行なっているわけではありません。教え子が勝てば教えた方も嬉しいでしょう。ですからパワハラを行なってしまうのには、原因があり、それは必ず感情のコントロールが上手くいかないことが理由となります。

それはパワハラだけでなく、モラハラ、セクハラといった問題となる行動に当てはまります。

感情のコントロール。スポーツに必要である以上に、生活にも必要であることは誰も疑わないでしょう。

つまり、普段の生活から改善していく必要があるのです。こういったパワハラが起きる背景、またその改善は身近な当たり前のことから始まるのです。

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